放射能から豊中の市民・子どもを守る会

豊中の市民・子どもの命を守るために放射能を測定し、豊中市に申し入れよう!

【報告】 1.18子育ておうえんカフェ 大盛況でした!

●今回はスタッフを含めると30名を超える参加者になり、大盛況のママカフェでした。
子どもさんも15名を超えていました。

●前半は、茨城県の水戸市から大阪市に避難されたOさんのお話しを聞きました。

概略を報告します。


≪oさんのお話≫

震災当時、仕事帰りにショッピングモールにいたが、天井が落ちてくるような状況だった。
高速道路は止まり、ガス水道電気はすべて止まった。
数日後にやっとテレビがつながり、初めて東北の津波の状況とか、
原発の「爆発的事象」と言っていることを知った。
それから避難の範囲が20キロ、30キロと広がっていくのを見て、
放射能のことが気になった。
3月17日の段階で鹿児島へ一時、避難した時に、小学生の娘に、鼻血、湿疹の症状がでた。
子どもに健康でいて欲しいし、
自分も健康でいなければとの思いで避難を決め大阪へ避難してきた。

水戸市は原発から100キロ離れている。それでもこういう症状がでる。
原発から100キロ離れているところは日本にありますか?

政府は原発の被害を認めない。
もとには戻れないけどこの被害を認めさせたくて、国と東京電力を訴える裁判に参加した。


≪加藤弁護士のお話し≫

悩んで避難した人達がたくさんいる。
国は支援すべきだが放置されている。
国は20ミリシーベルトという基準を作ってそれ以下の人は勝手に逃げろと言っている。
いままで1ミリシーベルトと言われていたのに。

社会の人達に知ってもらいたい。



後半はグループに分かれておしゃべりタイムでした。

私が居たテーブルでは、給食の話がでて、
今年1年生になるお母さん達が給食のことを気にされていました。
自治体によって違うと思うのですが、豊中の例をあげてお話ししました。
他のグループもフリートークの時間があっという間に終わるくらい、
話がはずんでいたようです。

途中、他の用事で会場に来られていた市長さんが覗いて声をかけてくださり、
写真撮影していただきました。
途中から市会議員の熊野以素議員も参加してくださったりと多彩な顔ぶれでした。
                                      (S記)


≪アンケートより=oさんのお話を聴いて≫

●終了間際の慌ただしい中で書いていただいたアンケートから、
太田さんのお話に関する感想をアットランダムに紹介します。

1、関西で少し危機感が薄くなることがあるので身につまされました。
  大変な思いをされている方がたくさんいることに目を向けて、何かできることを少しずつし
  ていきたいと思いました。〔川西市、40代、女性、避難者〕

2、もし自分だったらと、想像力を働かせることの大切さを痛感しました。〔豊中市〕

3、(転校の時、小1の)子どもさんが泣かれた話に心が痛みました。
  自分の子どもを守れるのは自分だけ、
しっかりしなきゃと思いました。〔大阪市、33歳、女性〕

4、同じ避難者として胸がいっぱいになりました。〔池田市、30代、女性、避難者〕

5、(避難を)よく決心されたと思います。
  「安全だ」と無理に言い聞かせて、原発事故を終わったものにしようという流れの中で、
  とても価値のある行動だと思います。
  何か応援できればと思います。〔大阪市、60代・女性〕

6、もし、自分が関東にまだ居たら・・(4年10か月前まで神奈川に居ました)
  どう行動できたか?小さい息子をちゃんと守れたか?と思いました。
  東京出身の私は、母や親せき、友人が沢山いるので
とても心配です。 〔豊中市、30代、女性〕

7、私も、去年の夏に横浜から大阪に来たので、とても分かることがたくさんあり、
  聞けてよかったです。/給食の事が気になります。〔豊中市、30代、女性、避難者〕

8、oさんのお人柄や考えにとても共感しました。
  これからも活動を支援していきたいという気持ちになりました。〔豊中市、20代、女性〕

9、テレビや新聞などの報道でしか、今はもう情報を得られないので、
  とても貴重なお話を聴くことができました。
  また、震災・原発のことも過去のこと・・・と意識が薄らいでいました。
  今日のお話を聴いて、自分から情報を求めて、
  いろいろな所に参加しなければいけないな、とも感じました。〔豊中市、30代、女性〕





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