放射能から豊中の市民・子どもを守る会

豊中の市民・子どもの命を守るために放射能を測定し、豊中市に申し入れよう!

【報告】 第19回 避難者交流会の報告

【報告】 第19回 避難者交流会 in とよなか の報告
 
      ~元気をもらえたお話・交流でした~

2月16日(日)開催された第19回・避難者交流会の報告です。
大人23名(内、避難者7名)の参加。子ども5名でした。
今回は、おふたりの避難者をメインゲストにお招きし、お話しを伺いました。

今回の参加者の方たちからは、何故か元気をもらえました。
真実を知った以上、黙っちゃいられない!ふざけんじゃねえ!という怒りのエネルギーの
持続をふるい起こさせるような、意志の強さを 感じました~。
本当に皆さん、いい事をおっしゃってくださいました。有難かったです。 (I 記)

以下、ざっくりまとめてみました。(S)

●Wさんのお話:埼玉県越谷市から避難。震災当時1歳と3歳のお子さんのお母さん。
原発が爆発した時、熊本の実家の母から毎日のように帰って来いと電話があった。周りは普通に洗濯物を干して、子どもは外遊びさせている。枝野さん(官房長官)が「直ちに影響ない」ということを言っていた頃だった。
茨城のホウレンソウからセシウムがでたのを機に、熊本の実家に3月22日に母子避難した。最初はすぐに戻れると思っていたが、ネットで調べるうちに関東での子育ては無理じゃないかと思うようになった。
父は、放射能は食べても大丈夫だという意見。放射能を心配する母親とも微妙な関係になっていたので実家から車で10分位の場所に引っ越した。そして福岡に転勤願いを出していた夫の会社から大阪転勤の辞令がでてやっと一緒に暮らせるようになった。
関東に妹や友達がいる。震災後に関東に家を建てたり、福島に遊びに行く人もいて、放射能を気にする自分がおかしいのかと思ったこともあるけれど、自分の気持ちをごまかすことはできない。

●Mさんのお話:
東京都千代田区から、震災後2011年8月に家族で吹田に避難。
住んでいた神田界隈は土地柄が気に入っててずっと暮らしていくつもりだった。
原発事故が起こり、何かおかしいとネットで調べるうちに、東京には一瞬でもいてはいけないような場所があることに気づいた。
最初は、3月15日に新幹線に乗り逃げる母親達を、馬鹿にしたようなニュアンスのテレビニュースを見て、自分も大げさだと思っていた。結局、逃げるまでに3か月かかってしまった。今思うと逃げ遅れたと思う。
大阪に避難して来て、「守る会」があることを知り、そこで避難してきた若いお母さん達との出会いがあった。市民活動をしたことが皆無で、そういう人達がいること知り新鮮だった。ベビーカーと一緒にデモに参加して、周りの人の冷ややかな目を感じて、今までの僕だと思った。地元の人達に、若いお母さんや普通の人達なんだと解ってもらうためにお母さん達と一緒にいろいろやるようになった。瓦礫の受け入れ反対の請願や、給食のベクレルを測ってほしいとの申し入れ等も。
もう3年たち、実は最近、お母さん達も疲れてきて、あまり集まっていない。
ルーサー・キング牧師の話で、「知ってて何もしないのは一番たちが悪い」ということもある。
水俣病の時には、周りが安全だと言っても魚を食べさせない親がいた。食べさせない親の子は助かった。食べた子どもは水俣病になった。歴史に学んでいきたいと思った。


◆自己紹介、交流、参加者の方からのお話し

・Tさん: 練馬区から震災後一年以上たってから京都に避難。それまで東京の放射能から子どもを守る市民団体に参加していた。初期の頃いろいろな健康被害を聞いた。鼻血、下痢等。今はぶらぶら病。難しいことが考えられない。記憶力の低下。心臓の痛み。子どもが外食のあと、足が痛いと泣くなど。中二の子どもが白血病でなくなった。2か月の赤ちゃんが血だらけで亡くなったが解剖しても原因がわからない。家族の中でとどめているので本当の健康被害が出てこない。
東京は複合汚染があるので、福島と比べられない。東京と神奈川の汚染は隠されている。福島に限定して終わらせようとしている。健康被害を隠そうという大きな流れがあるが、対抗できる手はないかと思っている。

・Hさん: 震災前に東京から転勤で豊中に。原発は電力のためではなく、核武装したいから。事故後、「我が国の安全保障に資することを目的として」と原子力基本法に明記された。
関東にいる妹に甲状腺にのう胞ができ、姪は橋本病に。身内に二人も放射能由来とされる症状がでている。千葉に住んでいた会社の女性は妊娠中だったが、生まれた子どもに様々な障害がでていると聞いた。

・0さん: 茨木市から参加。ピースボートで田中優さんの原発はいらないという話を聞いて半年後に福島の事故が起きた。父が東北電力に努めていて、原発の導入にかかわっていたようだ。住民は嫌だと言ったのに電力会社は札束で強引に始めてしまった。
報道は規制がかかっている。新聞、テレビは見ない。話を実際に聞き、現地にでかける、そして伝えないといけない。国は日本人の忘れやすい性格をよく見ていて、忘れるのを待っている。気が付いた人が動くことだ。

・Tさん: 宮城県気仙沼市から津波で、西宮市に避難。0歳4か月の子を連れての母子避難。放射能のため、戻らない。避難者交流会などにでて、戻っちゃいけないと確信を待つようになったが、夫婦関係悪化している。今は豊中市に住民票も移したが、豊中市の給食はどうなのか、保育所はどうしているのか心配。1ベクレルまで測るグリーンコープを利用しているが、気を使うことに疲れてきた、中だるみというか。

・Yさん: 13年4月、神奈川県葉山市から豊中市へ避難。実家は宮城県。サ-フィンしていて、海や食品に関心あり。鎌仲ひとみさんやエネルギー勉強会をしてきた。今後身の振り方をどうするか考えている。関東に友達が多い。関東に戻る決意をしている友人に何を言ってあげればいいのか。隣人同士で争いが起きている。

その他、原発事故というよりは余震の恐ろしさに耐えかねて東京から関西の実家に母子避難し、その後夫が転勤願いを出して一家で移住できたものの、原発事故や被曝についての認識があまりにも違い過ぎて、家庭内不和に悩まされている女性。地元住民で「最近、慰安婦問題や南京大虐殺などについて、なかった事にしてしまう動きがあって驚いているが、今度は福島原発事故までも同じにされようとしている」あまりの酷さに、なるべく集会に出かけるようにしているという女性。関電前の金曜抗議行動の他に電気料金の不払い運動をしている地元の男性など、様々な方が参加されました。

[ 2014/02/23 15:53 ] 避難者交流会 | TB(0) | CM(0)
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