放射能から豊中の市民・子どもを守る会

豊中の市民・子どもの命を守るために放射能を測定し、豊中市に申し入れよう!

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9.30 「第8回避難者交流会 in 豊中」 の報告

9/30(日) 避難者交流会の報告

 台風の警報が出ている中、実施しました。
守る会の中で「避難者交流会」を中心に担っているIさんが、
急用のため元の住所(埼玉県)に帰らねばならない中、みんなで
役割分担して行いました。

 参加者は11名。避難者は、今日の講師のSさんを含め、ご夫婦の計3名。
初参加は男性2名、女性1名。男性は神戸からと西宮から。
お二人とも避難者の話や移住の問題を直接聞きたかったとのことで、
チラシを見て参加されました。女性は高槻で活動されている方です。
 参加者の自己紹介の後、避難者のSさんからお話を1時間弱聞きました。

<内容の概略>
 2011年6月、東京都から兵庫県に避難してきました。
その前に海外にも一時避難していました。
3.11の前から、2004年ころから広瀬隆さんや高木仁三郎さんのお話などから
原発について勉強してくる中で、「原発は危険だ」と感じていました。
 作家であり広島の被爆者と知り合うことから、被爆者の証言を聞き取り、
原爆症集団訴訟に関わるが、被爆者手帳を持つ全被爆者のうち1%しか認められない現実がありました。
裁判で弁護団の事務局で働く中、国がいかに非科学的で、
被爆者が死ぬのを待っているかを実感しました。
その過程で、内部被ばく・低線量被曝が明らかになり、焦点化されていきました。
各地の判決で被爆者が勝ち、日経新聞にも載りました。
ところが日本人のほとんどが何も知らない!広島の歴史も被爆のこともタブー視している。

 3.11以降マスコミでは御用学者のみ出てきた。「報道を信じたら殺される」と確信しました。
オーストラリアの友人のもとに逃げ(3月)、1か月ほどいた。
「ヨウ素剤は飲んだよね」と問われた。
海外で一般の人が知っていることを、被爆国の日本人は何も知らない。
これからどう生きればいいのか?
ニューヨークタイムズなどメルトダウンなど本当のことが伝えられているのに、
日本では何もない。日本の報道は嘘ばかりだ。
 夫もおり、オーストラリアの友人の懇願を振り切って日本に帰国し、
4月から6月東京で暮らした。
データにも気をつけながら暮らしていたが、体調不良になった。
入浴後の倦怠感は尋常ではなく、「体の上に大男が乗っかっているような」感じの
押さえつけられるような状態だった。恐怖心を感じた。
喉の痛み、声のかすれ、鼻水のすごさ、痣、異常な脱毛、
顔尾を糸ミミズが這うような感じ、唇のしびれなど。(それらは兵庫に避難してしばらくしてなくなった。)
 
 1年たち、日本か海外か?そのためには離婚も考えるか?
自分の人生はどうなるのか、どう生きるのか?
 原爆症認定集団訴訟原告306人中80人以上の被爆者が志半ばで亡くなっている。
「日陰者」として生きざるを得なかった被爆者の人生そして死を目撃したものとして、
今のこの日本のひどい状況を見過ごせない、諦めることができない。
被爆者団体の人たちとともに動けないのが残念だが、一部の人は一緒に活動する人もいる。
その人たちとともに何かをしていきたい。



 政府・マスコミは本当のことを知らせないと、改めて実感しました。
正しい知識・情報を得る人は危機感を持つことができるけれど、
テレビを鵜呑みにして、他に情報を持たない多くの人は、自覚ないままに被爆を重ね、
無関心の波にのまれていこうとする。
チラシをまいても世間の関心は薄れ、フクシマなんかなかったかのように通り過ぎてゆく。
そうではないことを伝える活動を避難者とともに広げよう。   (n)

[ 2012/10/01 14:51 ] 避難者交流会 | TB(0) | CM(0)
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